セガサターンを中心に1995年の前半をプレイバックしてみようと思います。
(94年のも書いていたのですがセガサターンとは関係ない話ばかりになってしまったのでお蔵入り……)
セガサターン発売!
少し遡って94年。11月22日にセガサターン発売となりました。
私は受験勉強の(というより合格祝いを口実に次世代機を手に入れる)ため次世代ゲーム機の情報は積極的には取っていませんでした。
しかし、このコーンヘッドのCMはよく覚えています。何だか不気味な感じのCMでしたが、今までのゲームと違う、すごそうなイメージだけは受けました。夕方のニュース番組の枠とかで流れていた印象。
ちなみにプレイステーションは1,2,3と連呼しているもっとよくわからないCMでした。
けど色んなバリエーションがあるので逆に123というフレーズが頭に残ります。
発売時点でのサードパーティ数はセガサターンが200社近く、プレイステーションは240社以上。
開発中のソフト数はセガサターンが約100タイトル、プレイステーションは130タイトル。
プレイステーションは開発機材が安かったようで、広くサードパーティを獲得しています(その後セガも開発機材を値下げ)。
セガサターンの発売前に、セガサターンの発売と同じ11月に稼働したばかりのバーチャ2の移植が決定。
正直な話、バーチャファイター自体は94年の年末時点で既に1年前のゲームですし、私が通っていたゲームセンターでも置いていない店もありました。
そもそもインパクトはあったけどゲームセンターで大流行していた、という感じではなかった。
セガサターンとバーチャファイターの盛り上がりの裏には、アーケードのバーチャファイター2の超大ヒットとその移植が決定している事実が大きかった。
アーケードのバーチャ2の旋風は本当にすごかった。
ハードの売上の方はプレイステーションとセガサターンでほぼ互角と言っていいと思いますが、ナムコ、コナミという2大大手メーカーがソフトを発売しているため早くも一般ゲーマー層がプレイステーションに流れそうな雰囲気はありました。
本体1台に対するソフトの販売数もセガサターンの1.2本に対してプレイステーションは1.7本で早くも将来を予感させるようなデータも……。
下は発売初期の発売スケジュール表です(プレイステーションの予定は次のページまで続いています)。
コナミのソフトも発売日未定ながら入っていて、プレイステーションと多機種展開するんだな、というのがわかりました(が、あそこまで差をつけるとは……)。
あとセガサターン発売当初から発売日未定に入っていた「ファンタジーアース」がファンタシースターと何か関連があるソフトなのかとずっと期待していました。ファンタ「ジー」だから普通は気付くと思いますが願望が強かったので(笑)
(結局テラファンタスティカのことだったわけですが……)
1995年2月頃
1995年に入り、続々と期待できるタイトルが発売決定しています。
レイフォース(後にレイヤーセクションに改題)、ダライアス外伝、ときめきメモリアルなど。
さらにはアトラスから真・女神転生 デビルサマナーも発表されました。
スーパーファミコンで人気のRPGの「新作」が出るということでハード普及への期待がグンと高まりました。
他に面白いところとしてはアダルトビデオメーカーの KUKI がソフトの発売を予定していたということ。
しかもジャンルはRPG。アダルトものではないと念押ししていますがどんな内容になっていたのか気になります(笑)。
この頃発表されたタイトルは結構お蔵入りしています。このソフトもそうだし、アートディンクのA4とか。
ダービースタリオンも結局発売されないのでは? と最後まで疑っていました(結局ダービースタリオンは1999年3月に発売)。
この頃の私は……
この頃に高校に入学した私は入学祝いとして(前から約束していた)次世代機を調達することに成功しました。
その次世代機とは……セガサターン! ではなく「プレイステーション」でした。
ファミコンではなくセガマーク3、スーパーファミコンやPCエンジンではなくメガドライブ、ゲームボーイではなくゲームギアとことごとくセガ系を選んできていた私でしたが、この頃はまだ特にセガびいきという意識もありませんでした(笑)
私がプレイステーションを選んだ理由はソフトの値段でした。
セガサターンの方はバーチャファイターの8800円をはじめ、その他のソフトも7800円や6800円が多かった。
それに対してプレイステーションは基本的に一律5800円。ソフトが安い! というのが決め手になりました。
ソフトは「クライムクラッカーズ」と「モータートゥーン・グランプリ」を買いました。どちらも面白いソフトです。
1995年4月頃
セガサターンは3月末に84万台出荷を達成。
さらにはソフトの価格帯も5000円台に引き下げられることが発表されました。
ここで早くも私がプレイステーションを選んだ理由が消滅……。
この頃の目玉ソフトはデイトナUSAとパンツァードラグーン。
デイトナUSAはセガサターン初のMODEL2移植ということで、バーチャ2移植への試金石という意味合いも(ユーザー的には)あったかなと思います。
パンツァードラグーンはオリジナルのタイトルで次世代機を感じさせるタイトルでした。
ハドソンからは天外魔境外伝(後に天外魔境 第四の黙示録)が発表。
(同時にスーパーファミコン用の天外魔境ZEROとPC-FX用の天外魔境3も発表)
ハドソンはセガサターンに力を入れていく旨のコメントもあり、旗色がはっきりしました。
1995年6月頃
セガサターンは5月中旬に100万台突破しました。
また、5月末には最初のX指定ソフト「スーパーリアル麻雀PV」が発売。
100万台突破を受けて6月16日からVFリミックスを同梱したバージョンのパッケージを34800円で販売開始。
そしてアメリカでは元々9月に予定されていたセガサターンの発売でしたがなぜか5月に電撃発売。
海外市場での迷走はこの頃から既に始まっていました……。
話題作ではDの食卓がセガサターンで発売決定。
3DOで話題になっていたソフトもセガサターンに!
セガ発売の期待のソフトはシャイニング・ウィズダムや魔法騎士レイアース。
ただ、どちらもアクションRPGでオーソドックスなRPGが発売されそうな気配がない。
私の方はというと……6月末に発売されたアークザラッド(プレイステーション)をプレイしていました。
夏休みにじっくりやろうと思っていたらあっという間に終わってしまってガッカリ……。
1995年上半期のソフト販売本数の内訳。
ハードはセガサターンとプレイステーションでほぼ互角の戦いですが、ソフト面ではじわじわと差が見えてきています。
1995年後半はこちら