前回1995年後半を書いてから随分とあいだがあいてしまってすみません😓 1995年の記事はこちらになります。

今回は1996年前半について振り返ってみます。 私とは全く別の感覚を持っている方も多数いると思います。 あくまでひとりのユーザーの感想、印象であることをご理解ください。
バーチャコップ、バーチャファイター2、セガラリー(+真・女神転生)のコンボで年末売れに売れまくったセガサターン。 セガサターンマガジンとサターンFANの専門誌2誌も隔週刊となり、セガサターン界隈は活気づいていました。
私は3月で高校1年生が終わり、4月からは2年生という時期でした。
セガサターン以外ではどういうゲームが発売されていたかというと「スーパーマリオRPG」「星のカービィ スーパーデラックス」「ファイアーエムブレム 聖戦の系譜」「ポケットモンスター 赤、緑」といったゲームが発売されていました。 ポケモンはジワ売れした後の大ヒットで、社会現象になるのは翌年。 この頃はまだ存在感なかったです。 火の消えたプラットフォームに、任天堂が義務的に細々と発売していたタイトルのひとつ、そんな印象でした。
1月頃
1月はガーディアンヒーローズとストリートファイターZEROの発売がありました。

サターンFAN 1996年2月2日号
ガーディアンヒーローズが出た時はサターン世代発の出来の良いオリジナルタイトルが出始めたな! と思いました。 ストーリーモードもおもしろいですが、一番は対戦モード。 モブキャラ含めて色々なキャラが使えて飽きません。
ストリートファイターZEROの方はプレイステーション版より1ヶ月ほど遅れての登場でした。 読み込み速度やアニメパターンなど、出来そのものはサターン版の方が良かった。 アーケード版も2D格闘はこのZEROが盛り上がっていたのでスピード移植が嬉しかったですね。 その他、メガドライブでシリーズを展開してきたラングリッサーが順当にセガサターンで発売の発表があり一安心。
私の方は、お年玉で年末に発売されたセガラリーを買ったものの、ゴーストデータのセーブデータサイズが大きすぎて本体メモリが足らなくなり、パワーメモリー探しに奔走していました(笑) この時期サターン本体が売れに売れて、パワーメモリーも品薄。 帰省した際に近隣のおもちゃ屋を回ってなんとか見つけました。
2月頃
2月……。 セガサターンの命運を決めてしまった出来事が起こります。

サターンFAN 1996年2月2日号

サターンFAN 1996年2月16日号
1月発売の雑誌にこのような噂話が載っていて、当時の自分も全然ピンと来ていませんでしたが、このあとに発売されたVジャンプを見てびっくり仰天。

サターンFAN 1996年3月1日号
ファイナルファンタジー7がプレイステーションで発売されるという発表がありました。 このときは茫然自失でしたね😅
ファイナルファンタジー自体は私も好きでした。 とはいえ個人的にはそのためにゲーム機を買うというほどではなかったので、プレイできないことそのものにはそれほど落胆はしていませんでした。ただ、スーパーファミコンの主要な層、ライトゲーマーがどっとプレイステーションになだれ込んでしまうのが心配でした。 その通りになってしまいましたが……。 それまでは普通に楽しんでいただけでしたが、この事件からより逆境を応援する気持ちが強くなったように思います。
このあたりの話はこちらの記事で舞台裏が少し垣間見えました。

ちなみにこの編集後記に書かれている「FFに対抗しうるような超大作RPG」とは「グランディア」のことですね。 結果的にはFF7から10ヶ月ほど遅れての発売となってしまいましたが、もし同時期に発売されていたらもっと注目度が高くなってサターンも互角の戦いをできていたかもという気もします。

セガサターンマガジン 1996年3月8日号

サターンFAN 1996年3月15日号
そして2月の最後にエルフがサターンに参入という大事件が! こちらも(一部の人たちには)ファイナルファンタジーにもひけをとらないインパクトを持つニュースでしょう。 ただ、自分は前年にアルバイトしたお金でPC-98を買って、秋葉原で18禁ゲームを買ったり売ったりということをしていましたので(高校生ですが…)、特にサターンでパソコンから移植された18禁ゲームをプレイする意義は見いだせず(笑)

サカつく
その他、2月にはサカつくが発売されました。 こういったちょっと変わったジャンル、新しいタイプのソフトはプレイステーションの方が強かった印象ですがサターンも負けてないです。 この時はまだ日本でのワールドカップ開催が決まる前で、フランスW杯への出場も決まっていなかったのでサッカー自体が大盛りあがりするのはもう少し後。
ヴァンパイアハンターも発売。 対戦ツールとして重宝しました。

セガサターンマガジン 1996年3月22日号
サターンではありませんがAOUショーでバーチャファイター3のデモが披露されました。 バーチャ2の時は「まぁ無理だろうけど、何とか操作感は残して移植してもらえたら……」という感じで結果あの素晴らしい出来でしたが、 バーチャ3はさすがに進化しすぎていて無理に決まってるでしょと最初から思ってしまうレベル。 まだまだアーケードではバーチャ2が現役とは言え新作が発表されてしまった&移植も絶望的(に見える)ことでアーケード移植の強みに暗雲が……。

サターンFAN 1996年3月1日号
とはいえまだ希望はあります。 SNKのサ・キング・オブ・ファイターズ95 が専用のカートリッジとの併用であることが発表されました。 存在を忘れていた(パワーメモリー挿しっぱなしなので抜き差しもしないですしね……)カートリッジスロットがクローズアップ! ひょっとしたらバーチャ3もスーパー32XのようなCPU搭載型拡張機器で発売されるんじゃないか? そんな期待も持てた発表でした。
3月頃

セガサターンマガジン 1996年4月12日号
そして3/22に突然の2万への値下げと白サターンの発売に! それまでは定価34800円でしたので約1万5千円もの値下げでインパクト絶大! 私はサタマガしか買っていなかったので、この発表が誌面に載る頃には既に白サターンが発売されていました。 サタマガにも載っていないことをテレビCMで突然知ったのでびっくりしました。 この白サターンがあまりにカッコよかったので、後に旧型サターンを友人に(布教も兼ねて)安価で売却して、白サターンを買いました。 が、確かソフト込で1万5千円ぐらいで売ったので差額が足りず、しばらくサターンがプレイできず……。
そして白サターンと同時にパンツァードラグーン ツヴァイも発売。 こちらのベスト10記事にも挙げた良いソフトなのですがCMからその良さが全然伝わってこなかったのでスルーしてしまいました。

ちなみにプレイステーションはさすがに2万円には対抗できなかったか、コントローラー2個付きで24800円のファイティングボックスを3/28に発売しています。

サターンFAN 1996年3月15日号
新世紀エヴァンゲリオンのソフトも発売されました。 この時はまだ社会現象と呼ばれるまでのブームにはなっておらず、自分も観ていなかったので、まさかこれが後にサターンの強みのひとつになるとは思ってもおらず、「セガがスポンサーしてるアニメがゲーム化した」という、ただそれだけの感覚でした。 エヴァンゲリオンの一大ブームに火がつくのは劇場版が公開される直前の97年夏頃に行われた深夜の一挙再放送あたりから。

ドラゴンフォースの広告
私は3月発売のソフトの中ではドラゴンフォースを買いました。 この広告を見て「これはシャイニング・フォースと並ぶセガの看板シリーズになるに違いない!」と思ったのですが……。 結局2までしか出ず、残念でしたね。
それ以外にも名作としてよく挙げられるガングリフォンも発売されています。 ファイナルファンタジー7に匹敵するようなビッグニュースはないものの、コアなゲームで着実にプラットフォームの足場を固めているのがわかります。

セガサターンマガジン 1996年4月26日号
この頃「どんどんいただき! キャンペーン」なるものをやっていました。 ソフトについている応募シールを集めておくると景品がもらえるというもの。 このセガサターンTHEイス、セガサターン遠征バッグ、両方とも1000名のプレゼントでした。
4月頃

セガサターンマガジン 1996年4月26日号
ソニックチームの新作「NiGHTS」が発表!(発表会自体は3月だったようですが) ソニックのおかげで一般的にも知名度が上がったセガだったのに、ここでソニックを出さないことにやきもきしていたユーザーも多かったと思います。 ソニックではありませんでしたが新作ということでかなり期待していました。

セガサターンマガジン 1996年4月26日号
こちらも発表自体は3月でしたが、エネミー・ゼロがプレイステーションでの発売を無期延期し、セガサターンへの参入と発売を発表しました。 こちらもビッグニュースでした。 プレイステーション版を無期延期というのがね!

5月頃
3月4月と話題づくしだったので5月は小休止。

セガサターンマガジン 1996年7月12日号
これといったニュースは見られませんでしたが、E3でサターン版ソニックの「SONIC X-treme」が発表されたようです。 これ結局発売中止になったんですよね。 日本での発売予定もなかったのでこれ以降音沙汰なしでした。
セガサターンミニがもし発売されるなら「メガドライブミニ」にお蔵入りのメガドライブ版テトリスが入っていたように何らか再現できたりしないですかね。

6月頃

セガサターンマガジン 1996年6月28日号
サターンでインターネットができるキットが発表されました。 ネットワークゲームと言えば、当時友人がパソコンでプレイしていた「ディアブロ」に興味がありました。 サターンのネットワークには X-BAND で通信対戦ができるイメージが強く、ソフト代や電話代に加えて1対戦ごとにプリペイドカードで利用料を支払わなくてはいけないということで敬遠していましかし、よく読むとゲームだけでなくニフティサーブもできたんですね。 対戦ゲームはせずともサターンでネットをはじめていたら良かったかなあ。 私がネットを始めた頃(98年)はすでにインターネットが中心だったので、パソコン通信は体験していないのです。
序盤は話題が目白押しでしたが、後半尻すぼみ気味でしたね。 自分の記憶でもこの年は夏も買うものがないなーなんて思っていた記憶があります。 (ファイティングバイパーズぐらいしか目立ったタイトルがなかった)